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籾村の池(下籾地域)

籾村の田んぼの水源は天水と溜池です。数多くの溜池がありますが、下籾水利組合の溜池をご紹介します。

名前 池の写真 満水
面積
(ha)
貯水

(千トン)
堤長
(m)
築造
灌漑
面積
(ha)
ちょっと一言
小深田池 0.9 22 63 明治
39年
5 下籾で一番高いところにある池です。この池の水路は通称「い号」水路と呼ばれています。「イロハ」の「イ」です
松の前池、金山池と同じ谷に重なってあります。右の写真に3つの池が写っています。
松の前池 1.2 67 83 明治
42年
15 松の前池は堰堤が石垣で出来ています。ですから、水がとても澄んでいます。
子供の頃はよくこの池で泳ぎました。友達と向こう岸まで泳ぐ競争なんかをしていました。ちょうど池の真ん中へんで、妙に水が冷たくなったりして、少し怖い思いをしたことがあります。
金山池  0.9 20 107 昭和
5年
15 昔、この近辺の山で、砂鉄がとれたそうで、この池の名前が金山池です。
興前寺池 0.3 3 68 昭和
7年
3 戦国時代、籾村周辺は出雲の尼子氏の勢力下にあったが、永禄5年、尼子晴久が死ぬと、安芸の毛利氏と備前の浦上氏に属するものに分かれていた。毛利氏に属していた備中成羽城主の三村家親は、永禄9年、久米南条郡籾村佛頂山興善寺に兵6000人を率いて本陣を置き、美作、備前の攻略を伺っていたが、備前の宇喜多氏の者に伐たれた。
その興善寺の跡の田んぼの前にあるのがこの池です。寺は今はありませんが、三村家親の供養塔は今もひっそりと立っています。
清水池 0.1 1 62 昭和
16年
2 清水池(しみずいけ)は小さな池です。大きな松の前池の水路とつながっていて、水が無くなると松の前池の水が来ます。
数乗池 0.1 2 47 不明 0.4 い号水路よりさらに高い所にこの池があります。池も小さく、灌漑面積は少ないのですが、い号水路より高い田んぼいには大切な池です。
持峪池 0.3 12 60 大正
6年
5 小深田池と同様に、地区の一番高い所にある池です。この池のすぐ上はもう分水嶺です。
堂免池 0.15 4 60 昭和
17年
5 堂免池は集落の田んぼがある持峪池の上の分水嶺の反対側にある池です。ですから、この池の水は、隧道(トンネル)を通って下籾地区の田んぼを潤します。
長谷池 ←池の樋 2 78 126 大正
4年
5 下籾地域の田んぼを潤す最大の池です。
池の水は写真のように、『樋』(ひ)という詮を抜くことで用水路に出るようになっています。ちょうどボーリングのピンのような形ですが、ものすごい水圧がかかるので、樋の抜き差しは結構恐いのです。
今年は、長谷池は樋の改修が行われています。このため、写真を撮影したときは池の水をほとんど抜いていました。

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